真宗のご利益は、人間の欲望の満足ではなく、「空しさ」をどう乗り越えていくかである。

そもそも、お釈迦さまも佛道を求めて出家したもの「空しさ」が原因であった。インドのシャカ族は小国であったとは家、部族の皇子として誕生した。 世間的な欲望の観点からいえば、なに不自由ない、満足な生活を送っていたはずだ。それではなぜ出家せねばならなかったのか?

それは人間が老い、病気になり、真で行かねばならない不条理に対して「空しさ」を感じたからである。この世でどれほど欲望の満足を得たとしても、老・病・死の前には、全てが価値を失ってしまう。

私たちの人生は「これこそが人生の意味だ」と確信のもてる回答何一つ持ち合わせていない。だから、長寿を得ることでも、不死身になることでもない。何歳であっても、それえのとらわれをはなれて、あるがままに受け止めて、歩んで行きたいものである。

親鸞聖人は、 「本願力にあいぬれば/空しくすぐるひとぞなき/功徳の宝海みちみちて/煩悩の濁水へだてなし」と

(意訳) 「阿弥陀如来のはたらきに目覚めると、むだな日暮を過ごすことはない。日々の生活が充実し、いろいろと出逢うであろう障害ごとも、如来と共に堂々とあゆむ身になる」と讃嘆されました。

南無阿弥陀佛




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